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「mora qualitas」が始まるらしい その2

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ハイレゾロスレスストリーミングサービス「mora qualitas」が来年春に始まるというニュースを受けて、昨日はここ数年の日本の音楽配信業界の流れを振り返ってみたわけだけれども、ハイレゾのところで文字数の枠が尽きたので、ハイレゾに関して今日は書いていこうと思う。

 

moraというか、SONYハイレゾをプッシュし出したのは、2014年10月のことである。日本の音楽配信は着うたという特殊なものが売れていた割に、iTunes Storeが始まってもCDを超えることはできないでいた。

 

(着うたってなんであんなに高いのに売れたんでしょうね?)

 

初期の頃はDRMをかけて売っていたので仕方なしとも思えたが、2012年にDRMフリーの時代を迎えても、やはりCDは強かった。CDが握手券やチケット申し込み券と化していたからでもある。

 

そこでハイレゾという高級路線を打ち出したのだろうが、もともと2000年代に入って高級イヤホンやヘッドホンのムーブメントはきていたので、これは自然な流れだと思う。CDも生まれて30年経ってしまい、いつまでもCDスペックの音で良いはずがないということだと思う。録音そのものはとっくにCD以上のスペックで製作しているのだし。

 

で、ハイレゾがどうなったのか。なんとなく手持ちのスマホが対応はしていたり、言葉としては知っているという人はいても、積極的にハイレゾを継続して買ってますよという人は少ないのではないか。

 

居ることはいるのだけれども、オーディオの裾野を広げるということはできずに、単純に今まで高級オーディオをいじってるような人が、ちょこちょこ買っている程度なんだと思う。

 

それはハイレゾの品質にも原因がある。そもそも音の良い悪いというものに関して、人間はそこそこ鈍感なのだ。同じ品質の音源を音が小さいのと音がデカいのを聴き比べさせると、デカい方を音がいいと判定するのが人間なのである。

 

先日、父が4Kテレビを買ったのだが、それでDVDを再生するとボケると言っていた。なるほど、この年齢でもその解像度のミスマッチは認識できるのだなと、ひとつ学びを得た気持ちになったのだけれども、視覚と違って、聴覚のハイレゾはパッと聞きで「あ、すごい」となりにくいのである。

 

中身のデータもCDのデータを変換ソフトで数値上だけアップコンバートしたような、錬金術みたいなインチキ商品が平気で売られていたりした。まぁこれも人間側の鈍感力ゆえにバレないだろうと思われてしまったのだと思う。バレるけど。

 

ただ消費者側のインチキ追求の姿勢がSNSで可視化されてしまったことによって、必要以上にハイレゾ全体に悪いイメージがついてしまったのではないかと思わなくもない。素晴らしいハイレゾももちろん存在するのだけれども、インチキネタの方がどうしても印象に残りやすいし、ネットにも情報が残りやすい。

 

というわけで、正しく作っても品質差がわかりにくいし、インチキも混じってるのに、平均単価も高いし、これだったらジャケットとかブックレット付いてたり、後から売れるCDの方が良くないですか?と多くの人が思ってしまったのが現状だと思う。

 

ただ、それでもハイレゾは死なないと思うわけですよ。なぜなら作ってる時点ではハイレゾで作ってるんだし、それを無駄にするのももったいないわけですよ。売れないなら、なんとか活用して金にしたい。金にしよう!

 

そんな流れと、サブスク拡大の流れを受けて、サブスク再参入を考える上で、SONYさんは「ハイレゾでストリーミングすればよくね?」という思いに至ったのではないか。そんな風に妄想してしまうのである。

 

ここで今日の文字数が尽きたので、続きは明日

 

明日はハイレゾでのストリーミングを考えます