脱プラスチックの流れの中でCDは必要なのか?
世の中には、「どうしても必要なプラスチック」と、「必要ではない、回避することができるプラスチック」があると思うんですよ。そして、これからの時代、使わなくてもいいプラスチックは可能な限り回避する姿勢が求められると思うんですよね。
さて、音楽を販売する時に使ってるCDです。
円盤自体も、それを収納するケースもすごくプラスチックですよね。紙製ケースの場合もありますけど、まぁ紙ってのも減らすに越したことはないわけでして。
CDはプラスチック部分が製品に多すぎるような気がする。そういう面でも時代にそぐわなくなってきているのではないだろうか
— くまかず (@kumakazu12) July 24, 2019
Twitterとかでたまに言ってみたりしてたんですけど、そもそも脱プラとCDを紐付けて考えたことがある人って少ないっぽいんですよね。なんとなく。なんか残念なことだなぁと思っていた矢先に、この記事を見たんです。
パソコンの画面の中、スマホの画面の中だけで発信される音楽と違って「もの」であることはすごく意味があるけれども、ここに来て、ずっと環境問題としては取り上げられてきていたことなんだけれど、結局、CDというか形のあるフィジカルディスク面は、プラスティックや紙などの資源を膨大に使うんですよ。そういった意味で、昨今「脱プラ」などについて声高にみんなが議論しているけれども、そういった社会的な流れにもこのサブスクは、もう見事なぐらい合致しているんですよね
さすが亀田さん。脱プラの流れにおいてCDの危うさ、そしてサブスクがそこに見事に合致すると説明している。素晴らしい。音楽も素晴らしいけど、物の見方が大変に素晴らしい。
そもそも音楽の歴史をたどってみれば、最初は生演奏をその場で聴くしかなかったわけです。その後にエジソンが蓄音器を作ったことで、音楽を録音するというケースが生まれて、必ずしも生演奏でないと音楽を聴けないという時代ではなくなった。
その後に、ラジオとかテレビとかで電波を使って放送するパターンが出てきましたが、これは好きな時に好きな曲を聴くというスタイルではありません。レコードとかカセットテープ、CDなどが登場して、やっと一般の人が好きな曲を好きなタイミングで聴けるようになったわけです。
レコードとか、CDとか、いわゆるフィジカルパッケージ(物理な商品)ができた理由というのは、要するに時代的に技術的に、それしか音楽を大量に供給する手段が他になかったから。単にそれしか無いわけですよ。
モノとしての魅力とかは後付けです。単純に録音したデータを記録したモノを流通させるしか、リスナーに届けられなかったからですよ。
つまり、この時代までは「どうしても必要なプラスチック」だったわけです、音楽の円盤は。しかし世の中はインターネット時代。
好きな曲を好きなタイミングで聴けるようにするための音楽流通手段としてネット配信が使えるようになりました。最初はダウンロードで販売するという形に、そして今ではストリーミングでも聴けるようになった。音質的にもCDを上回るものを提供できます。
そしてみんなスマホで音楽を聴いている。
これでも音楽を届ける手段として、どうしてもプラスチックは必要ですか? この2019年に?
モノとしての魅力ってのは、まぁわからなくもありません。でもその個人としてのモノに対する所有欲というのは、地球環境全体に対しても優先すべきものなのでしょうか。
そもそも考えてみてください、モノとしてのCDが欲しいという感情は、あなたの中で不変のものなのかを。単に生まれた時からそうだったから、そう思っているだけ、思わされているだけではありませんか?
もう音楽業界、そして消費者側でも真剣に考える時期にきているのだと私は考えます。 特に日本市場はCDを音楽を聴くためという本来の用途とは異なった機能性を持たせる傾向があり(つまりチケット抽選)、本質を無視した大量購入を煽る傾向にあります。
企業ですから、利益を考えるのは大変に結構なことです。ただし、その過程において無駄でしかない大量のプラスチックを生み出すのはいかがなものなのか。
世界の流れの中で、こんなにも環境に対して悪な行為が蔓延している日本の音楽業界はそろそろ恥じるべきなのではないでしょうか。グレタ・トゥーンベリさんが日本の音楽市場の現状を知ったら、延々と罵り続けると思いますよ、恥を知りなさい!と。
まとめましょう。
- それでしか流通させられなかったから物理パッケージは存在した
- しかしネットで配信できる時代になった
- プラスチックは減らすべきである
それでも、まだ音楽にプラスチックは必要ですか??