Google+が終わるという話 コレクション編
ちょっと前にGoogle+が終わるというんで3日ほど書いたんだけれども、その時には書ききれなかったテーマがあるので、久しぶりに続きを書いたいと思う。なお、Google+の終了は8月だったのが、早まって4月には終わることになったらしい。まぁ無駄に続けていてもって思うので、すぐにでも終わった方がいいと思う。
前回の書いたものは上から辿ってください。
Google+のアカウントを昨年いっぱいでサクッと全消ししたんですよ。やはりいつまでも立ち退かないみたいなのもどうかと思って。でもさすがはGoogle+の古参さんたちは変わらず営業中ですね。
私がGoogle+というものをいまいち好きになれないのは、システム周りとかGoogleに対する不満じゃなくて、そこにいた人間さんへの不満なんですよね。いや社会生活を営む上で、人間がたくさんいれば合う、合わないなんてのは当たり前の話ですけど、それはもう合わないでギュッと凝縮して抽出したみたいな人ばかりしか残ってない感じになっちゃってました。
異常かと言われれば、ギリギリ異常か正常にかみたいな感じの人が多かったですかね。ただパラメータで表記したら一部分が異常というか過剰な面を持ってる人ばかりになっていた気がします。
Google+の先進的なシステムの中に「コレクション」という機能がありました。これ内容に対しての命名をGoogleがミスった気がするんですけど、機能的にはブログにおけるカテゴリみたいなものです。
Twitterとかでも内容に合わせて専用アカウントを作って使い分ける人も多いですよね。人間そのものは多様性にあふれていて言い訳ですが、いざ話題となると合う合わないが出てくるわけです。
そこでGoogle+ではコレクションを作って、投稿する内容に合わせてカテゴライズできるようにしたわけです。さらに先進的だったのはコレクション単位でフォローできるようにしたっていう部分。
SNSにおけるフォローというのは、常に「人」を単位としていたわけです。それを「話題」でフォローできるようにした。素晴らしいと思いませんか?
「Aさんの音楽に関する話題はすごく興味深くて読みたいんだけど、あの人、政治の話もするし、ちょっと過激なんだよなぁ、政治の部分が。」
こんなケースありませんか? こういった場合でもAさんが「音楽」「政治」でコレクションしておけば、読み手が「政治」だけフォロー外しできるのです。
気になったらフォロー外してねと、書き手はどんどん遠慮することなく書くことができるし、読み手は気になるコレクションだけ読むことができる。Win - Winで誰も損しないシステムだったのです。
ところがコレクション導入時にすでに、つまらない人の集合体と成り果てていたGoogle+には、このシステムの価値を理解できる知性の持ち主は、わずかしか残されていませんでした。
ほとんどのユーザーは投稿内容を分類する手間を「面倒」と切り捨て、ある者は「俺は俺だから俺自身を分類はできない」とかバカみたいなことを言い、読み手のメリットなど考えようともしなかったのです。
Twitterでは若い学生でも、専用アカウントを作ろうというのに、Google+では腰も重い、頭も重い、新しいことは何もできない、する気もない連中しかいなかったのです。それでいてTwitterをバカにしている。本当にどうしようもない人たちです。匿名掲示板の方がマシとも言えるでしょう。
あのコレクション機能が受け入れられなかった時点で、私はGoogle+の連中を見限りました。多少の改善の必要性は認められるものの、システムのコンセプトとしては最高のものが評価されない事実は、全く受け入れがたいものでした。
あの中では、今でも古参の人気者が平気で著作権侵害行為を日常的に行い、モラルのかけらもないような投稿があふれ、それを正すもの、諭す者は誰もいません。自浄作用など期待できるものではありません。本当にひどいところです。一刻も早く潰れるべきだと思います。